「回廊」という言葉をたまに聞きますね。本来の意味合いは、寺院などにおいて、建物や中庭を屈折して取り込むように作られた廊下のことを指します。春日大社や法隆寺など大きな寺院ではよく見かけ、どこまでも続く柱はインスタ映えスポットとして人気を集めています。
地理学・歴史学において回廊は、比喩的に、両側に山や海がせまって細くなった地形のことや、両側に他国の領土がある細長い領土の部分のことを呼びます。
回廊は、意味もなく回廊となるわけではなく、そこには政治的・経済的・地理的意図があって設定されることがほとんどです。例えば、①内陸国の国がどうにかして海へと抜けるため、②明らか飛び地になりかねない領土と本土を結ぶため、③緩衝地帯とするため、といった目的が挙げられます。
旅行・地理好きからすると、細長く伸びたエリアって無条件に惹きつけられますよね。今回はそんな世界に現存する「回廊地帯」を4つご紹介したいと思います。
ワハーン回廊(アフガニスタン)
ワハーン回廊はアフガニスタン北東部に位置する東西に細長く伸びた回廊地帯です。タジキスタンとパキスタンの間に挟まれた全長320kmほどのこの土地は中国まで繋がっています。かつてはシルクロードの一部をなす重要な経路でした。この辺りは平均標高5000mを越える山岳地帯で、ペルシャ語で「世界の屋根」を意味するパミール高原の南端に位置するのがワハーン回廊です。
ワハーン回廊の誕生の経緯として、19世紀に中央アジアの覇権を巡るイギリス帝国とロシア帝国によるアフガニスタン争奪抗争(グレートゲーム)があります。厳しい気候条件、険しい地形など外部から人を寄せ付けない要素が、両勢力間の領土を隔てる緩衝地帯として機能し、地政学的に極めて重要にも関わらず、軍事的な関心が及ばない地域となっています。
アフガニスタンはここ40年ほど常に戦火に見舞われてきました。ソ連によるアフガニスタン侵攻、9・11テロ後のアフガン戦争国内の内戦、そして、先日のタリバンによる国土支配などです。しかし、ワハーン回廊は本土からあまりにもかけ離れているため、戦争や内戦とは無縁のまま人々は暮らすことができています。
とはいえ、ここでの暮らしは苛酷の一言に尽きます。標高4200mを超す高地に位置するため、ほぼ一年中気温は氷点下に達します。加えて、年中強風が吹き荒れ、作物が育たないため、遊牧以外に生きていく術はありません。電気も通っておらず携帯電話を使用することもできません。車が通れる道も少なく、”だた生きる”それだけのことが困難と言えます。一方、犯罪や暴力沙汰もめったに起きないため、人間関係は平穏そうにも思えます。
牧歌的とはかけ離れたこの地域で人々が唯一癒しとして求めているものが「アヘン」であり、常習的に使用されています。ワハーン回廊は中国への薬物密輸ルートとしての側面も持ちあわせています。
平和なのか危険なのか何とも言い難いワハーン回廊ですが、近年は観光地としても注目されています。世界最高峰の山々が連なるパミール高原は、登山家や自然愛好家を惹きつけてやみません。また、温泉が各地に点在するため、秘湯好きからも注目を集めています。ただし、根本的にたどり着くまでが非常に難しい場所のため、旅行する際はよく調べてから訪れるようにしてください。
カプリビ回廊(ナミビア)
カプリビ回廊はナミビア共和国の東部に450kmほど飛び出した細長い領土です。先っぽの国境は、北をザンビア、東をジンバブエ、南をボツワナと接しており、フォーコーナーズとなっています。カプリビとナミビア本土の間は200km近くに及び国立公園で隔絶されており、たった1本の道路で繋がっている状態です。
アフリカの国々と言えば、19世紀にヨーロッパ各国に勝手に国境線を引かれた結果、直線のわかりやすい国境を持った国が多いです。そんな中、カプリビ回廊はどのようにして生まれたのでしょう?答えは、旧宗主国であるドイツの地政学的戦略によって引かれました。
ナミビアはかつてはドイツ領の南西アフリカ(カプリビ回廊を含まない)として呼ばれていました。大陸を横断してインド洋の進出を目指すドイツは、大陸を縦断を目指すイギリス(南アフリカを植民地化)と対立をしていました。交渉の結果、ドイツは現タンザニアのザンジバル島をイギリスに譲渡する代わりに、イギリスから東海岸への通路となるザンベジ川が接しているカプリビ回廊を入手したのです。
しかし、海へと繋がると思われたザンベジ川の川下には世界三大瀑布の一つであるヴィクトリア滝を筆頭にいくつもの滝や急流があったため、インド洋まで船で渡ることは不可能であったのです。つまり、ドイツは騙されたわけです。その後、第一次世界大戦で南西アフリカはイギリスの手に渡った後、ナミビアとして独立するまでの間にいくつもの内戦が起こりました。
カプリビ回廊は地形的要因によって断絶された地域ではないため、地政学にも厄介な遺恨を残しています。カプリビ回廊には約8万人が暮らしていますが、その3割近くはロジ人です。ロジ人はザンビアにも、ジンバブエにも、ボツワナにも暮らしており、国境線を跨って4ヶ国に分散して暮らしています。ヨーロッパ各国の勝手な都合により、自分たちの故郷が4ヶ国に分断されたたロジ人たちにとって、ナミビア本土への繋がりは薄く、周辺国の同じロジ人と一体感を持ち、独立を求める声を強く出ています。
紆余曲折があったカプリビ回廊ですが、近年は観光地として注目を集めています。ナミビアと言えば赤茶の美しい砂丘の印象が強いですが、こちらには動物保護区があり、世界有数のカバ地帯でもあります。キャンプ場を併設したホテルやコテージが多く、欧米人に人気のリゾート地となってきています。
ラチン回廊(アルツァフ共和国)
ラチン回廊は今最もホットで複雑な場所の一つで、法的にはアゼルバイジャン領内にあります。アゼルバイジャンは隣国のアルメニアとナゴルノ・カラバフという土地を長年争ってきました。ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン領内にある自治州で、紛争により25年以上に渡りアルメニアに占領されていました。
実行支配時にナゴルノ・カラバフ(ロシア語)は、アルメニア語のアルツァフ共和国として独立を宣言いたしました。(世界中のほとんどの国から国家承認は受けておらず、事実上はアルメニアの保護国)ラチン回廊とは、アゼルバイジャン領内にあるアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)とアルメニア本土を結んだ回廊なのです。
2020年、両国の長きにわたる紛争に終止符が打たれました。数か月に渡る戦闘行為と停戦合意を経て、アゼルバイジャンが事実上勝利を治めたのです。その結果、アルメニアはナゴルノ・カラバフのほとんどの地域をアゼルバイジャンへ返還させられ、首都であるステパナケルト以外の領土を失いました。
ラチン回廊のあるカシュタグ地区もアゼルバイジャンに返還されることになりましたが、ラチン回廊はアルメニアの飛び地とも言えるアルツァフ共和国と本土を結ぶための大切な道路です。そのため同盟国のロシアの介入によって、ラチン回廊の通行権自体はアルメニアが保持する結果となったのです。
2021年現在、ラチン回廊は幻の国家ともいえる「アルツァフ共和国」に訪れる目的がない限り通ることはない場所です。道路自体は比較的綺麗に整備されていますが、連続する急カーブに加え、100kmに及ぶ山岳道路を走行する必要があるため、国際ジャーナリストやカメラマンなどでない限りは近づくことはないでしょう。
シリグリ回廊(インド)
最後にご紹介するのはインド北東部に位置するシリグリ回廊です。名前は、同地帯の代表的都市であるシリグリに由来します。ここは、ネパール・中国・ブータン・バングラディシュの4ヶ国が接しており、地政学的に非常にシビアな場所と言えます。
多くの国境が接しているだけではなく、(大きな)陸の孤島であるインド北東部と本土を結んでいるため、シリグリ回廊は同国最重要地域と言えます。北東部にはイギリスほどの面積に4500万人の人々が暮らしていますが、生命線となる回廊の幅はわずか32kmです。
シリグリ回廊と切っても切れない場所がすぐそばにあります。ヒマラヤ山脈に位置するドラクム高地です。ドラクム高地はヒマラヤ山脈に位置するわずか88㎢の地域ですが、中国、インド、ブータンの3ヶ国の国境と接しおり、長年国際紛争地となっています。ドラクム高地の地政学的価値は、中印両国にとって計り知れません。インドにとっては先ほどご説明した通り、国防上の最弱点(シリグリ回廊)へと目と鼻の先に位置するため、気が気ではありません。
一方の中国は、ドラクム高地に侵入し一方的に道路建設を開始しました。対印軍事的拠点あるいは周辺国への影響力の保持などあらゆる思惑が予想されます。間に挟まれているブータンはインドの同盟国で中国とは国交を結んでいません。ちなみに、日本は仲良し国家であるブータンを支持しており、中国から反発を買ってます。
シリグリは地政学的に弱点とも言える地域ですが、裏を返せば他国へのアクセスが容易という側面を持ちます。そのため、観光拠点としても知られており、ネパール、ブータン、バングラディシュなどの近隣国への空港、道路、鉄道の乗り換え拠点として活用されています。
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