【解説】元・世界遺産 -抹消された世界遺産3選-

世界遺産

世界中に点在する世界遺産。後世に伝えるべき「顕著な普遍的価値」を持つものを文化遺産や自然遺産として登録されていますが、登録理由となった要素が失われたと判断された場合、世界遺産として取り消される場合もあります。

登録抹消には、①登録された後に状態が悪化して抹消される場合と、②懸念材料を抱えた状態で登録され、そのまま改善が見込めずに抹消される場合があります。2022年現在、抹消された世界遺産は世界に3件存在します。今回は、そんな悲しさ漂う「元・世界遺産」を紹介していきたいと思います。

世界遺産登録基準一覧

1人間の創造的才能を表す傑作である。
2建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
3現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
4歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
5あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)
6顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
7最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。
8生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である。
9陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本である。
10学術上又は保全上顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。
世界遺産の登録基準

アラビアオリックスの保護区

「アラビアオリックスの保護区」は、1994年にオマーンの世界自然遺産【登録基準⑩】として登録されました。アラビアオリックスとはユニコーンのモデルになったと言われている動物で、角の乱獲が原因で1972年に野生種が絶滅しました。オマーン国王は保護区の設置を目指し、アメリカから10頭を譲りうけて、野生に近い状態で保護・育成させたことで世界遺産に登録されました。登録直後の1996年には400頭まで増やすことに成功しました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Reem-Lavan001.jpg

順調に思えましたが、その後は再度密猟が繰り返され数が大幅に減っただけでなく、2006年にオマーン政府が油田などの資源開発のために、アラビアオリックス保護区を1/10に縮小すると公表しました。このままいくと絶滅の恐れがあると判断したユネスコは、2007年5月に保護体制を強化するために危機遺産への登録を提言しました。

しかし、その2ヶ月後に開催された第31世界遺産委員会で、オマーン政府は自ら提言を拒否し、「アラビアオリックスを保護・管理し続ける能力も意思もない」と表明しました。そして、自ら世界遺産からの削除を求めた結果、世界遺産として初めて登録を抹消されました

ドレスデン・エルベ渓谷

ドイツにある「ドレスデン・エルベ渓谷」は2004年に登録された世界文化遺産【登録基準②③④⑤】です。「エルベ川のフィレンツェ」と表現される歴史的な街並み「ザクセンのスイス」とも表現される雄大な自然から、中心街のみならず渓谷の広い範囲も込みで世界遺産に登録されました。

ドレスデン Toni WendlerによるPixabayからの画像
エルベ渓谷 Peter HによるPixabayからの画像

この世界遺産はわずか5年足らずで登録が抹消されてしまいました。その原因となったのが、ヴァルトシュレスヒェン橋という近代的な橋の建設でした。世界遺産登録以前よりドレスデン市街は慢性的に渋滞が起こっており、橋の建設は古くから議論されていました。

翌年の2005年に橋の建設の是非を問う住民投票が実施された結果、建設賛成票が反対票を上回り計画は実行されることになりました。これを受けて2006年の第30回世界遺産委員会では危機遺産リストに加えれ、「建設が開始されたら登録は抹消される」と決議されました。

ヴァルトシュレスヒェン橋 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Waldschl%C3%B6%C3%9Fchenbr%C3%BCcke_-Dresden,_Germany-_DSC09192.JPG

その後再度話し合いが行われましたが、最終的には住民投票を尊重して建設に踏み切った結果、2009年に登録が抹消されました。先ほどが自ら望んでの抹消だったのに対して、こちらは世界遺産委員会が主体的に抹消を決議したはじめての事例でした。世界遺産か利便性か、暮らしている人間にしか理解できない切実な問題ですね。

海商都市リヴァプール

サッカーやビートルズでも有名なイギリスの「リヴァプール」は、歴史的な湾口施設で知られる一方、奴隷貿易の世界的拠点でもありました。大英帝国最盛期の海洋交易拠点の姿を伝える重要な例証であることから2003年に世界文化遺産【登録基準②③④】に登録されました。

sue daviesによるPixabayからの画像

この世界遺産登録は、市の中心部に点在する当時の海運会社、造船所、世界初の耐火性倉庫が残る6つの地区をまとめて登録したものですが、近年の再開発によって現代建築が混在するようになり、景観が著しく損なわれたとされ、2012年に危機遺産リストに加えられました。

Ben KerckxによるPixabayからの画像

きっかけとなったのは「リヴァプール・ウォーターズ計画」と呼ばれるもので、集合住宅やオフィス、商店、ホテルなどが軒並み再開発されました。ガラス張りの高層ビル建築も相次ぎ、極めつけにはサッカーチーム・リヴァプールFCのホームスタジアムの建て替え移築が世界遺産登録区域に食い込むこととなりました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Panorama_of_Anfield_with_new_main_stand_(29676137824).jpg

この計画に対して地元住民の多くは、「雇用創出のために再開発は不可欠だ」と、市長も「投資の恩恵で、われわれの世界遺産はこれまで以上に良い状態にある」と主張してきました。しかし、2021年の第44回世界遺産委員会での非公開投票によって登録抹消が決定されました。市は不服申し立てを検討する方針を示しています。

おわりに

以上、抹消された世界遺産を3つ見てきましたが、実は近年危機遺産と呼ばれる世界遺産は増加中にあります。例えば、イタリアのヴェネツィアオーストラリアのグレートバリアリーフなども危機遺産リスト候補に挙げられています。世界遺産登録を維持することが大切なのか、住民の利便性を高めることが大事なのか、あるいは両方維持することはできるのか。議論は慎重に、しかし、迅速に行わなければいけないので困難を極めています。ちなみに、現在日本に危機遺産は存在しません。

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