スペインには地中海を越えたアフリカ大陸の海沿いに領有する地域があります。名をプラサス・デ・ソベラニアと言い、スペイン語で「主権の及ぶ土地」を意味します。19世紀から20世紀初頭にかけて多用されていましたが、この名称自体は現在廃れてしまいました。今回は、現存するアフリカにあるスペイン領をご紹介していきます。
予備知識
プラサス・デ・ソベラニアは大小5つに分けられ、(民間人が暮らす)2つの自治都市と、(民間人のいない)3つの島(諸島)があります。これらの地域は、1415年にポルトガルのジョアン1世がレコンキスタの延長として行ったアフリカ西岸征服によってポルトガル領に、1580年にスペインがポルトガルを併合したことによってスペイン領となりました。第二次世界大戦後、モロッコは独立を果たしますが、プラサス・デ・ソベラニアはスペインから返還されず、現在に至るまでスペイン領として扱われています。モロッコはこれらの地域の領有権返還を主張し続けています。
今回ご紹介するスペインの海外領土は、プラサス・デ・ソベラニアの5地域(図赤字)とそれに含まれない2地域(図青字)の計7地域です。
セウタ
セウタはスペイン本土から最も近いスペイン領で、イベリア半島とアフリカ大陸の間にあるジブラルタル海峡のモロッコ側にある港町です。海上交通や軍事上の要衝であり、自治都市として扱われています。20㎢未満の小さな土地に約85,000人が暮らしており、公用語がスペイン語であるにもかかわらず人口の3割はモロッコ系住民が占めます。
セウタの最大の特徴は「EUの特別地域」であることです。アフリカにありながらEU圏であることによって、異なる2つの異名を持つようになりました。
1つ目は「ヨーロッパのショーウィンドウ」です。セウタは狭い土地柄のため、第一次産業と第二次産業がほとんどなく、第三次産業に大きく偏っています。そのため、経済の柱となるのが観光業と小売業です。
観光面においては、セウタはその国際的な性質と多様な文化が交じり合う土地の特殊性から、欧州から多くの観光客が訪れています。街の入り口の城塞は、西暦40年にセウタを支配したローマ帝国建造したもので、現在の街並みは15世紀のポルトガルの時代に築かれました。クラシックな街並みから都会的な雰囲気まで味わうことができる「リトル欧州」と言えます。
小売面においては、セウタはEUの特別な税制特区であるため、輸出品に関して関税がかけられておらず、通関手数料が免除されています。そのため、モロッコとの国境貿易では、欧州製品を買い付ける場として活気に溢れています。
2つ目は「亡命中継地」です。文字通り「アフリカの中にある欧州」のため、サブサハラアフリカ出身の難民がヨーロッパへ亡命するための経由地として目指します。当然、国境には高さ6mのフェンスが張り巡らされれて簡単に越えることはできませんが、楽園を目指して挑戦する者で後を絶ちません。
メリリャ
メリリャはセウタと並ぶスペインの自治都市です。面積はセウタより小さく12㎢ですが、人口はセウタとほぼ同じ(86,000人)です。街の特徴も大きくはセウタと同じで、“EUの特別地域”のため“税制上有利”であるが、“亡命中継地”の側面を持ち合わせています。
大きく異なるのは立地です。スペイン本土とは目と鼻の先に位置するセウタと異なり、メリリャは本土からフェリーで6時間と離れているため、どうしても周囲を囲むモロッコとの結びつきが強くなります。
かつては中継貿易とアフリカ植民地支配の中心拠点として栄えたメリリャですが、第二次世界大戦後、北アフリカ諸国の独立に伴い、地政学上の重要性が低下し、急速に衰退しました。スペイン人の多くが町を去る一方、モロッコ人が入れ替わるように増えていきました。その結果、メリリャ人口の半分がモロッコ系(セウタは約3割)にまで登り、モロッコ国内と大きくは変わらない街並みとなりました。
セウタやメリリャでは、1O年間住み続けると永住権を入手することができます。大変興味深いのが、ここで暮らすモロッコ系の住民は、モロッコへの返還を全く望んでいないということです。せっかく「ヨーロッパの飛び地」の居住権を手に入れたのにみすみす「アフリカの国」に戻りたくないという意識が働いており、「イスラム系スペイン人」という概念が育っているようです。
チャファリナス諸島
チャファリナス諸島はスペイン海外領土のなかで最も東に位置する3つの島です。コングレソ島、イサベル2世島、レイ島で構成されており、3島とも火山性の島です。3島の合計は52.5haあり、プラサスデソベラニアのなかで最大の諸島です。
かつては修道院や流刑地であった歴史を持ち、最大1000人近く暮らしていましたが、現在民間人は暮らしていません。イサベル2世島にのみスペイン軍の駐屯地があるため、30人ほどの軍人とスペイン環境省から派遣された専門家グループが駐在しています。
チャファリナス諸島は国立自然保護区となっており、世界第2位のアカハシカモメの生息地でもあります。スペインで絶滅の危機に瀕している11の海洋無脊椎動物も生息しており、生態系の宝庫です。また、夏の間は考古学者も島に住んでおり、紀元前の遺跡発掘調査が行われています。
ペニョン・デ・アルセマス
ペニョン・デ・アルセマスはモロッコの都市アル・ホセイマの湾の沖合300mに浮かぶ島で、近くにあるテイェラ島、マル島とともにアルセマス諸島と呼ばれています。3島の総面積はたったの4.6ヘクタールしかありません。
スペイン語でペニョンは「岩」を意味し、島文字通り断崖絶壁の岩でできています。この島にも民間人は暮らしておらず、スペイン軍の小さな駐屯地があるのみです。島内には兵舎や監視塔だけでなく、様々な時代の建物、教会、灯台、商店などがあり、船の定期船も存在しています。まさしく海に浮かぶ要塞で「スペイン版軍艦島」と言えます。実は。この島はセウタ、メリリャ、スペイン本土(イベリア半島)を結ぶ海底ケーブルの中継地点としても機能しています。
ティエラ島とマル島は共に無人島で建物はありません。モロッコのビーチから約50メートルに位置するため、泳いで簡単に辿り着くことができ、昔はよく遊ばれていました。しかし、21世紀に入って領土紛争が悪化した際に島は有刺鉄線で囲われ、訪れる人はいなくなりました。その結果、アカハシカモメの繁殖コロニーが形成されています。
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラも同じく岩の要塞です。20世紀前半までは島でしたが、巨大な嵐で膨大な量の砂が流れ込みアフリカ大陸と繋がり半島状の領土となりました。現在、モロッコ沿岸とは85mの陸繋砂州(トンボロ)でつながっており、「世界最短の国境」と形容されています。
この島はかつては海賊の巣でしたが、スペイン艦隊によって全滅させられ、それ以降スペインの領土となりました。文字通り岩礁のため、飲料水と樹木が不足しており、大きな貯水槽が必要でした。現在は淡水化プラントを常設し、飲料水を自給自足しています。
ペレヒル島
プラサス・デ・ソベラニには含まれませんが、アフリカ大陸にスペインの海外領土はまだあります。その一つであるペレヒル島は、セウタから北西に8キロの沖合にある無人島です。17世紀後半以降スペインの支配下にありましたが、モロッコが独立後、帰属があいまいなまま双方が領有権を主張する紛争地となってしまいました。(スペインも領有権をあいまいにしていたため、一般的にはプラサスデソベラニア(主権の及ぶ地)に含まれない)
スペインがペレヒル島の領有権を主張する背景には、この島が不法移民の経由地になる恐れがあったためでした。21世紀初頭にモロッコ軍がペレヒル島に上陸したことが発端で、スペイン軍艦が派遣され武力衝突が発生しました(ペレヒル島事件)。この紛争は米国の介入の末、当事国間で直接交渉が行われ、10日間で終了しました。しかし、「両国の主張は放棄されることなく、関係を事件の前の状態に戻す」という曖昧な終わり方で、未だ根本的な解決には至っていません。
アルボラン島
アルボラン島はスペイン本土とアフリカ大陸のちょうど中間にある赤みのかかった岩の小島です。火山性でありながらほぼ平らな地形で、スペイン海軍の基地(人口21人)と灯台が設置されています。。
島の名前はチュニジアの海賊から由来します。アルボラン海のど真ん中に位置するため、ジブラルタル海峡を通る商船を襲撃する際の拠点として使用されていました。後世には、オスマン帝国がスペイン本土へ攻撃を仕掛ける際の前線基地にもなっています。
アルボラン海は地中海と大西洋を繋ぐ海で、生態系や天然資源が豊かであることから、スペインとモロッコの間で領土紛争が発生しています。余談ですが、アルボラン島は「バイオハザード4」の製作チームが「孤島」を製作するにあたってインスピレーションを与えたとも言われています。
終わりに
アフリカに存在するスペインの海外領土を見てきました。プラサス・デ・ソベラニアと呼ばれる2つの自治都市と3つの無人島を見て疑問に思うのは、「セウタとメリリャが戦略上重要な拠点であることは理解できるが、他の3つの島(とりわけ、岩礁2島)にどれだけの価値があるのか」ということです。占領し続けるにはそれなりの駐軍費用がかかり財政負担を圧迫します。実際、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラはスペイン国会で「戦略的価値はなく、基地の放棄か撤退」を提案されましたが、実現に至っていません。
というのも、どれか1つでもモロッコへ返還を応じれば、セウタとメリリャも返還せざるを得なくなりかねないわけです。つまり、スペインにとっては価値がなかろうと、放棄するわけにはいかない状態で、この地図にも載らない岩礁の飛び地をほとんど意地だけで領有し続けているのです。
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