現代に至るまで多くの国・地域で領土問題は顕在しており、時間が経つほど解決への道のりは遠ざかっているように思えます。領土問題の根本は「どちらの国に帰属するか」ということに尽きるかと思いますが、世界中には様々な理由から複数国で管理している土地があります。
1つ地域に対して、分割や譲渡することなく、複数の国家が同等の主権を行使することを共同主権(コンドミニアム)と呼びます。今回は、現存する共同主権地域を見ていきたいと思います。
フェザント島(スペイン・フランス)
フェザント島はフランスとスペインの国境を流れるビダソア川下流にある島(中州)です。現地語では、キジ島や会議島とも呼ばれています。その歴史は古く、15世紀以降、この島は外交や王室の会合に利用されてきました。特に、フランス王室とスペイン王室の花嫁の交換の地として度々使われてきた歴史があります。
歴史的経緯も相まって、1659年にこの島で結ばれたピレネー条約によって、フランスとスペイン両国の主権の下にある共同主権地域として明言されました。なお、島自体の主権は両国が6か月ごとに交互に管理するという大変レアなケースを採用しています(世界唯一の交互主権)。島に一般人が立ち入ることは禁止されています。
ボーデン湖(スイス・ドイツ・オーストリア)
ボーデン湖は、ドイツ、オーストリア、スイスの3ヶ国にまたがる湖です。国際河川のライン川へと流入し、中世では漁業と交易の重要拠点として栄えましたが、現在は、バカンス地として人気を博しています。
古くから湖は開発されてきたため、常に領土問題を抱えてきました。そこで、国を越えてボーデン湖を共同管理することを目的とした委員会が設立されました。トラブルを極力回避するため、島を除く湖部分のみを共同主権地域としました。共同主権となったのは、オーバー湖(上湖)と呼ばれるエリアのみで、北西部のユーバーリンガー湖はドイツ領、ウンター湖(下湖)にはドイツとスイスの国境線が明確に引かれています。
共同主権となったものの各国によってその解釈が異なるのも事実です。例えば、スイスは「国境が湖の真ん中を通っている」、オーストリアは「湖全域が共同主権」という認識を示しています。しかし、全ての国がシェンゲン協定(協定加盟国間の自由移動について規定するもの)に加盟しており、緊迫した問題でもないため、放置されているのが現状です。
モーゼル川とその支流(ドイツ・ルクセンブルク)
モーゼル川はヨーロッパのフランス、ルクセンブルク及びドイツを流れる国際河川です。フランスを出た後は、ドイツとルクセンブルクの国境を流れ続け、ドイツ国内でライン川に合流します。
ドイツとルクセンブルクの国境のほとんどがモーゼル川とその支流であるザウアー川、アワー川によって隔られているのですが、その左右両岸の水域は共同主権地域とされています。両国の国境の長さが135kmであるのに対して、この共同主権地域は118kmと国境線の実に9割近くを共有しています。
1984年、ドイツ・ルクセンブルク国境条約で「両国がモーゼル川水域全体に対して共同の権限を行使する」ことが定められました。その結果、両国をまたがる橋梁(21の道路橋と7つの歩道)や川の中に存在する約15の島(中州)も共同で管理されるようになりました。
その一方、水域内であるにも関わらず共同主権から外されている場所もあります。例えば、ルクセンブルク側には2つの閘門と国内唯一の港であるマルテール港が存在し、これらはルクセンブルクのみの領土となります。しかし、その管轄はドイツの水上警察が行っていたりと複雑ではありますが、互いにバランスを取りながら共同管理しているようです。
ブルチコ地区(ボスニアヘルツェゴビナ)
かつてはユーゴスラヴィア構成国の一つであったボスニア・ヘルツェゴビナは、ボシニャク人とクロアチア人が主体のボスニアヘルツェゴビナ連邦とセルビア人が中心のスルプスカ共和国の2つの国家で構成される連邦国家です。スルプスカ共和国には独自の大統領と行政府があり、実態は国家連合に近いと言えます。
そんな2ヵ国両地域にまたがるブルチコ地域は、両国にとって政治・経済的に要衝であることから、独立後も帰属を巡って内戦が行われてきました。1999年にアメリカの仲介の末、共同主権地域としてブルチコ行政区が設立されました。
ブルチコ地区は公的には両国に属するとされていますが、実際にはどちらにも統治されていません。自由都市として独自の法が制定され、それぞれ民族が平等に議会勢力を分け合って政治が行われています。民族問題を解決した奇跡の街では決してなく、表面上の平和を築いた危うい状態であることに違いはありません。
アビエイ地域(スーダン・南スーダン)
アビエイ地域は、スーダンと南スーダンの国境線に位置するエリアです。この地域は、両国にとって最大規模の石油産地(実にスーダンの1/4の産出量を誇る)であることから、その帰属をめぐって激しい対立が行われています。
アビエイは、南スーダンが独立する以前から紛争地でしたが、2005年の包括平和協定(CPA)の制定により大きな転換を迎えました。この協定は、第二次スーダン内戦と呼ばれる南部の反政府勢力と中央政府との内戦を終結させ、国全体で民主的な統治を展開して、石油収入を分配することを目的としました。
その結果、①6年後の2011年に南スーダンの独立の賛否を問う国民投票の実施と、②紛争地であるアビエイに「特別行政的地位」の付与が決定されました。アビエイは暫定的に、西クルドファン州(現:スーダン)と北バハル・エル・ガザル州(現:南スーダン)の両市民であることが宣言されました。そして、③同じく6年後に住民投票によってどちらの州(国)に帰属するかを決定させるよう取り決められました。
しかし、どこまでをアビエイ地域の住民と定義するかで、南北スーダンの主張に相違があり、結局住民投票が行われず、その後現在に至るまで無期限で延長されています。一方、南スーダンは賛成票98.83%で独立をしました。
この結果、アビエイ地域の住民は、形式上は”同じ国の異なる2州”から”異なる国の2州”の市民権を得る、という珍しい事態になりました。住民投票が行われない限り、協定の下、両市民であることが明言されているため、事実上の共同主権地域となってしまったのです。余談ですが、南スーダンが世界で一番新しい国であることから、アビエイ地域も世界で一番新しい共同主権と言えます。
フォンセカ湾(エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア)
フォンセカ湾は中央アメリカにあるエルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアの3ヶ国にまたがる太平洋に面した湾です。中央アメリカの歴史は超大国のアメリカと共にあり、常に大きく振り回されては傷を負ってきました。
パナマ運河ができる以前の1849年、アメリカはカリブ海からフォンセカ湾までホンジュラスを横断する運河の建設を検討していました。地政学的に重要な場所となると予期した3ヶ国は、湾と湾内に位置する島々の権利を巡って長い間論争を続けてきました。
1914年、ニカラグアがアメリカに対して、フォンセカ湾の一部を海軍基地の建設のために提供するという事件が発生しました。エルサルバドルはこれに対して共同保有権に反している主張し、国際裁判にもつれる事態にまでなりました。1992年、国際司法裁判所はフォンセカ湾の土地・島・海洋上の国境を決定し、3ヶ国でフォンセカ湾の支配権を共有するように指示いたしました。
アンドラ公国(フランス・スペイン)
最後にご紹介するのは、世界で唯一の共同主権国です。フランスとスペインの間に挟まれたピレネー山脈中に位置するミニ国家のアンドラは、正式名称はカタルーニャ語で「アンドラ共治公国」と言います。
この国は、フランス大統領とカタルーニャのウルヘル司教の2人を共同統治者としています。そもそもアンドラという国が、ウルヘル司教とフォア伯を共同統治者とする宗主契約により誕生した国です。後にフォア伯の権限は、ナバラ王→フランス国王→フランス大統領へと変遷していきした。
この2人がアンドラの国務に直接携わったり来訪することはほとんどなく、駐在代理官が委任を受けてその権限を行使しています。また、2人の共同君主は、政府の行為に対して拒否権は含まれず、限られた権限のもと共同統治を行っており、つまるところ、儀式的なものに過ぎません。
この共同統治に意味はあるのか、時代錯誤ではないのかという意見も最もなのですが、アンドラにとって重要なのは、各国との伝統的な繋がりであり、2つの大国との均衡を保つための手段でもあるのです。事実、両国と関係が良好であるため、アンドラ自体は軍隊を所有していません。
おわりに
以上、現存する7つの共同主権地域を見てきました。領土問題由来のものもあれば、仲良しだからといったものまで経緯は多岐に渡ります。他にも、南極や国際宇宙ステーションも事実上の共同主権地域と言えます。とはいえ、広義の意味合いでの解釈となり少し毛色が変わってしまうので、今回は除外させていただきました。
世界中の領土紛争が「共同主権」という形で解決するのならば、どんどん広まって欲しいのですが、我が国の北方領土、竹島問題に置き換えて自分なりに検討してみたところ、あまりにもリスキー過ぎて、とても採用したいとは思えません。おそらく、多くの国でも同じような結論に至るので、なかなか広まらないのでしょうね。
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